- 投稿 2017/10/13 更新
- 松本市
長野県松本市と岐阜県高山市の県境にある野麦峠の名はどなたも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
しかし松本市って広いですね。高山市とも接しているとは思ってもみませんでした。市町村合併を繰り返し、かつて波田村や奈川村だったところも今では松本市になっています。有名な観光資源はたくさんあります。
ちょうど峠の一番標高の高いところは長野県と岐阜県の境の辺りには「あゝ野麦峠」と彫られた石碑がありました。
聞くだけで悲しくなる女工哀史と野麦峠の歴史
野麦峠とは、女工哀史をテーマとして何度も映画化されたりドラマ化されています。年配の方の中には聞いただけで涙を浮かべる方も多いのではないでしょうか。
野麦峠とは、明治から大正にかけて、飛騨の若い娘達が信州の製糸工場へ出稼ぎに行くために、吹雪の中を命がけで通った野麦街道の難所として有名です。
野麦峠の一番標高の高いところで1672mほどあります。当然当時の移動手段は徒歩です。かつて13歳前後の娘達が列をなしこの峠を越えて岡谷、諏訪の製糸工場へと向かい、年の瀬になると、また野麦峠を歩いて故郷を目指しました。
故郷へ帰る年の瀬は、野麦峠は雪の中です。吹雪の中、郷里の親に会うこともなく、道中死んでいった娘たちも数多いということです。
命がけで出稼ぎに行っても当時の労働条件は想像を絶するほど過酷で、女子労働者は睡眠時間も十分に与えられないほど深夜馬車馬のごとく働かされ、人格も認められず、半ば強制労働だったということです。
そんな紡績工場に働く女工の過酷な労働条件と虐待の実態を、細井和喜蔵氏は「女工哀史」として一冊の本としてまとめています。
わずかばかりの賃金のために過酷な労働に耐え、故郷に帰ることもなく雪の中で息絶える少女の悲しい歴史が、ここ野麦峠にはたくさん残っているということです。
今では考えられいないことですね(涙)。そんな少女達の労働が近代日本を支えていたんですね。
野麦峠にあるお助け茶屋に寄ってみました
この峠には「お助け茶屋」と呼ばれる茶屋があります。中には食堂もありますが、平日ということで誰もいませんでした。
当時のものかどうかは分かりませんが、古い木造家屋です。
野麦峠のまつわる映画やドラマの写真が飾ってあります。白黒写真に時代の古さをかんじますね。
映画化された「あゝ野麦峠」の古いポスターも飾ってあります。これはこれはセンセーになられた三原じゅん子ではないですか!!
こういった古いポスターって味があっていいですね。
展望台へのハイキングコースを登ることに
お助け茶屋の右脇の土手辺りに、展望台へ続くハイキングコースの看板を発見!
せっかく来たので登ってみることにしました。
歩いて10分もかからないぐらいの距離に展望台はあります。
標高が高いのでクマザサが生い茂っています。
標高が高いところにの白樺の木は美しいですよね。青い空に白い幹が映えます。
先に見えるのは乗鞍です。先日初雪が観測されたらしいですけど、雪は見えませんでした。
頂上付近は雲で覆われていますので、ひょっとしたら頂上は雪が積もっているかもしれませんね。
紅葉を期待していたんですが、木々は青々としてました。少し残念。
平日は何人訪れるのか聞いてみたい峠の資料館
駐車場のような展望台のようなコンクリート作りの建物の脇に峠の資料館と言われる施設の入り口があります。入り口は午後は日陰になり、ひっそりとして近寄りがたい雰囲気です。
平日ということもあり誰もいませんでした。閑散としています。こういう所で働いていると1日が長いでしょうね。
入館料500円するんですよね。入る気は全然しませんでした。
ついでにパンフレットをもらってスタンプも押してきました。
とりあえず一度は…ということで野麦峠へ来てみましたが、そんなに絶景というほどでもありませんでした。
雪が積もると通行止めになるので、訪れてみたい方は今のうちですよ。
観光地としてはイマイチかなぁ(笑)。多分もう行かないと思います。