入山宿
「あゝ野麦峠」で有名な女工が泊まった宿
入山宿とは、野麦街道沿いの宿場です。
野麦街道は、明治・大正時代にかけて、飛騨地方から岡谷・諏訪の製糸工場へ働きに出た女工達が通った街道として知られています。
そんな女工たちが途中宿泊したのが入山宿の宿屋です。その宿が朽ち果てながら今も残っています。
エリア | 知名度 | おすすめ度 | |
松本地域 |
現地アクセスの目安時間
自動車 | 松本ICから1時間 |
動画で詳しく紹介します
「あゝ野麦峠」の舞台
山本茂実の小説「あゝ野麦峠」は何度も映画化されているので、ご覧になった方も多いでしょう。
わずかな契約金で遠く離れた製糸工場へと趣き、厳しい労働に耐えて健気に生き抜いた女工たちの姿は涙なくしては見られません。
製糸工場の女工として働く彼女たちの中には12歳の少女もいたそうです。年末年始とお盆の年2回、女工たちは野麦街道を通って親が待つ故郷に帰省しました。もちろん当時は徒歩です。
野麦峠越えの途中で行き倒れる女工も少なくなかったようで、街道の途中に置かれた石仏は、峠を越えることができなかった少女たちを祀ったものです。
松本市民でもほとんど知らない
信州松本と飛騨高山を結ぶ陸路として古くから利用された野麦街道。その入口に位置する入山宿は地元松本市民にもほとんど知られていません。
かつて野麦街道に沿って5軒ほどの宿屋がありましたが、現在は全て廃屋となっています。時間の経過とともに廃墟化が進み、長い時間風雨にさらされ続けている木造建築物は朽ち果てつつあります。
入山宿は観光地化して観光客を呼び込む計画があったようです。入山宿では一番の賑わいをみせていた旅籠・松田屋は明治元年の建築を復元したものです。
しかし、観光地化する計画はいつの間にか頓挫し、現在は荒れ放題で廃墟化が進んでいます。
入山地区にはかつては20世帯ほど住んでいましたが、現在は10世帯ほどに減っています。昭和44年頃に入山集落の集団移転が図られ、元の入山宿辺りから北寄りの現在の集落に移転したという記録が残っています。
物騒な場所にあるので一人で行くのは危険
入山宿へは、東京電力奈川渡ダム沿いを通る県道26号にある宮ノ下トンネルの直前にある脇道から入ります。
200mほど車で進むと右手に有名な旧・宮ノ下隧道(入り口が閉鎖された廃トンネル)があります。そしてさらに山の上側へと進むと入山宿の跡があります。
道路はかなり以前に舗装されたようですが、全般的に荒れています。土砂崩れの跡もありところどころに大きな石が転がり、樹木も散らばっています。
道は狭くて通る人もいません。野生動物も頻繁に出没するようでサルの糞も転がっています。
なお、全面通行止めとなっていて冬季は完全に閉鎖されています。冬以外でも一応通れるようですが途中で通行不能になったら引き返すしかありません。歩いて行くのがおすすめです。
車で行く際は自己責任で。
入山宿の基本情報
住所 | 長野県松本市奈川入山 |
入場料 | 無料 |
駐車場 | 道路脇に数台駐車可 |
定休日 | 無休 |