旧野麦街道と野麦峠
野麦街道は、明治・大正時代にかけて、飛騨地方から岡谷・諏訪の製糸工場へ働きに出た女性(女工)が通った街道として知られています。
現在も、約1300mほどの街道跡が当時のまま「旧野麦街道」として残っています。ウォーキングコースとして整備されていますが、一年を通して訪れる人はほとんどいません。
野麦峠には政井みね兄妹の石像・政井みね之碑・お助け小屋があります。
エリア | 人気度 | おすすめ度 | |
松本地域 |
現地アクセスの目安時間
自動車 | 松本ICから2時間 |
動画で詳しく紹介します
信州松本と飛騨高山を結ぶ陸路として古くから利用された野麦街道。かつて鎌倉街道、江戸街道とも呼ばれ、飛騨と信州や江戸を結ぶ重要な路線でした。
野麦街道は、飛騨高山から岡谷・諏訪の製糸工場へ働きに出た少女達が通った街道として知られています。山本茂実の小説『あゝ野麦峠』が何度も映画化されているのでご存知の方も多いでしょう。
野麦街道で最も標高が高い場所を野麦峠と呼びます。標高は1672m、岐阜県の飛騨高山と信州(長野県)松本奈川の県境に位置します。
少女達が製糸工場の女工として野麦街道を通ったのは、年末年始と盆の2回です。郷里の親が待つ故郷に帰省するために往復しました。 年末年始の頃は行きも帰りも雪深く厳しい道のりであったため、野麦峠越えの途中で行き倒れる工女も少なくなかったと言われています。
野麦峠の付近には大小の石仏がありますが、これは峠を越えることができなかった少女たちを祀ったものだと言われています。
野麦峠には、政井みね兄妹の石像・政井みね之碑・お助け小屋があります。「政井みね」とは、製糸工場での厳しい労働の中、仕事中に病に倒れた女性です。兄に背負われて郷里の高山へ帰る途中、野麦峠で「ああ飛騨が見える」と言って息絶えたという実在の女性です。
政井みねを祀る碑が峠の展望台に残っています。これはお墓ではないようです。
「お助け小屋」とは、現代の避難小屋のような施設です。標高1672 mの野麦峠は野麦街道最大の難所でした。冬は積雪のため峠を越えることが困難で、行き倒れにならないように利用されました。
このお助け小屋は長年放置されていましたが、1970年にオープンして、観光施設として利用されています。
食事もできます。中には「あゝ野麦峠 新緑篇」を中心に映画の場面などの写真が飾ってあります。
土砂崩れの影響もあって2022年3月より休業していますが、2023年の県道39号の開通と同時に再開してほしいものです。
なお、野麦峠にあった「野麦峠の館」は2022年3月31日をもって閉館となりました。
旧野麦街道と野麦峠の基本情報
住所 | 長野県松本市奈川 |
入場料 | 無料 |
駐車場 | 野麦峠に無料駐車場あり |
定休日 | 無休 |
公式HP | 野麦峠 | 新まつもと物語 |